「今日彼女と会ったとき、ゴミ箱の中にたくさん絆創膏が入っているのを見たの」
 姉は顔を上げずに言葉を発した。そうして徐に傍らのマグを取り、中身を啜った。もはや液体は生暖かいだけだった。日記の文字は、少しずつ乱雑さを増していた。書き殴られた文章は読み難く、青年は眉をしかめながらそれを追った。

―和食以外は食べてはいけない。油分を含むものは避けて、薄味のものを食べるように。シャンプ―とリンスに化粧品、リップクリ―ムは一切禁止。石鹸で全て洗え、ってお医者さんに言われた。そんなことしたら髪ぼさぼさになっちゃう。それに、髪も長すぎるから切れって。先生のところに行くと、顔にも塗れる薄い薬があるから、痒みは治まる。だけど、次の診察までの一週間、またこれに耐えなきゃいけないのかな。もう血は爪だけじゃすまない。朝起きたら寝巻きもシ―ツも汚れてるし、爪は皮膚と血がネイルみたいに層になってる。白いはずのところが黒と紅で埋め尽くされてる。気持ち悪い。いくら手を洗ったって気付いたら指先が赤黒い。
―今日は乾燥していて、皮膚がひび割れて剥がれてきた。白く粉を噴いたみたいで見苦しいから、引っ張って剥がしてしまったけど、ちょっと痛いし地肌も赤くなってしまった。でも、この方がまだ見栄えはマシかもしれない。チ―フには何もいわれずに済んだから、割とよかったかも。
―それにしても、石鹸で髪を洗うようになってから数日。ちょっとずつだけど、症状が治まってきたような気がする。良かった、あとちょっと、頑張れ、わたし!

 苛つくように乱雑だった字も、だんだんと落ち着いた綺麗な字へと戻りつつあった。
「なんだ、だいぶ良くなってきたみたいじゃん」
「うん。その頃は薬も効きはじめた時だったみたいね」
 その言葉を受けてペ―ジを捲ると、突如赤のボ―ルペンで書かれた大きな文字に出くわした。ペン先を潰してしまったのか、所々にインクのだまが出来ていて紙面が汚くなっている。

―好きでこんな体質になったわけじゃないのに。みんなと同じものを食べて同じように暮らして、何で私だけこんな目に遭うの?こそこそ陰口を言わなくったっていいじゃない…確かに肌は荒れてるほうだけど、薬を飲んで、汗をかいたらすぐに拭いて、洗顔したり腕を洗ったりして皮膚を清潔に保って、塗り薬も忘れないようにしたのに。あからさまにクラスメ―トに避けられてる。バイト先じゃお客さんは私に話しかけようともしない。何で?私のどこがいけなかったの?
―痒い、痒い。腕が、頬が、額が、鼻先が。身体のどこを触っても油分が纏わりつくような感覚しかしない。いくら洗っても落ちない汚れに苛まれている。油の入った食べ物は避けてるはずなのに、汗をかいたらもう、べたべたしてむず痒い。爪を切らなきゃ。身体を傷つけないように、短く。ちょっと深爪気味でもいい。あるいは両手を切り落としてしまいたい。
―女のくせに、化粧もしてない。その通りだと思う。誰かが、化粧は女子大生の義務だって言ってたっけ。じゃあ私は女でいる資格もないの?皮膚が爛れていようとも、女であらねばならないの?そんなことを言ったら、私は初めから女じゃなかったのかもしれない。綺麗に保てなければ、美しくあらねばいけないの?傷口が痛い。ひりひりと刺すように痛む。肌を擦るとぼろぼろと皮膚片が落ちる。私は誰なんだろう。痒い。首はとうに赤く腫れ上がってしまった。まるで首を吊ったのに死に損なった人間みたい。死に損ないがのうのうと生きている。頬が赤い。荒れた皮膚の下には鮮血が流れているのだろう。生きているのだから、赤く腫れあがるのだろう。

 気付けば、日付は騒動の前日まで迫っていた。彼がペ―ジを捲ろうとすると、ペリペリと音がしてペ―ジ同士が剥がれた。

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2010.10.17/小山彩音



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