声を出すというのは原始的な作業だと思う。文字を持っていて、書くということができる僕達は、発話によるコミュニケーションに頼らずとも意思の疎通が出来る。しかし、敢えてその文字を用いないのが演劇なのだ。何が言いたいのかといえば、凄く、暑い。
「お父様、私は綺麗な服が欲しゅうございます」
「おぉおぉ、そうか。買ってきてあげるとも。してベルや、お前は何が欲しいのかい?」
「私は…ただ一輪の、バラが欲しいです」
 教室には熱気が篭っていた。窓を開け、申し訳程度に扇風機を回しているものの、身体を動かす者からすれば殆ど助けになっていない。HR第5周目、ついに練習が始まっていた。

「ちょっと休憩にしようか」
 瀬戸の声で集中の糸が切れたらしく、室内は一気に騒がしくなった。伴と話している瀬戸の元へと駆け寄ったのは、間宮さんである。その素早さは天下一品といったところであろうか。
「瀬戸くん!私の演技どうだったぁ?ちゃんと台本どおりに出来てたかなぁ?」
「ん、間宮さん?うん、ばっちりこなせていたと思うよ」
「なぁ間宮ー、お前もっと腹から声出せよ!俺みたいに役に入り込んでだなぁ」
「伴、うっさい!あんたには聞いてないでしょっ」
「なっ俺は間宮のためを思って言ってやってるだけで」
「まぁまぁ2人とも…」
 伴と間宮さんは傍から見れば結構楽しそうに掛け合いをしているのだが、当の本人達はそれに気づいていないらしい。瀬戸を挟んでお互いに睨みあっているが、瀬戸はただただ苦笑するのみで、密かに瀬戸に同情する。

 騒がしい3人から少し離れたところでは、伊波さんが鈴木さんと話している。鈴木さんは間宮さんと同じく、意地悪な姉役だ。しかし本人は穏やかな性格の持ち主であり、静かな文化部系の人である。恐らく桐島先生のあみだくじが無ければ、演劇に役者として参加することも無かっただろう。
「私、人前で喋るの苦手で…」
「そうなの?鈴木さんの話し方は静かで丁寧だから聞き取りやすいと思うよ」
「本当に?」
「うん。次は、もっと強弱をつければいいんじゃないかな。昼ドラに出てくる姑みたいなねちっこい喋り方を狙ってみると良いかもしれないね!」
「そうしてみるね」
 伊波さんと鈴木さんの寡黙さには大きな差があるように見える。鈴木さんは話すことが苦手だからあまり口を開かないが、伊波さんの場合は尋ねられていないから話さないのだろう。だから、話しかけられれば饒舌に語ることもあるし、口を開いているときは何だか楽しそうにしている。

 そんな彼女達を遠巻きに見ているのが僕を含む残りの役者連中である。と言っても、間宮さんと鈴木さんのお相手である夫役の2人は購買に行ってしまったようで、残っているのは僕と高島、そして兄役の三人組である。
「俺ら、間宮さんと兄妹役なんだよな…」
「そうだよな…姫ちゃん先生のくじが無かったらありえなかったよな」
「夫役じゃないけど、家族役なだけでも嬉しいよな…!」
 間宮さんはなんだかんだ言ってクラスメイトには好かれている。がんがんと物怖じしないで発言するから、苦手という人もいるが、逆に陰口をきかれなさそうと安心する者もいるようだ。長男役の加藤は心なしか表情がいつもよりも明るいし、次男役の佐藤と三男役の湯本は練習中も落ち着きが無かった。どうやら理由はここにあったらしい。
 そして、一番落ち着きが無く不機嫌になっている男がいる。言わずもがな、ヤツである。
「いつになったら俺と伊波ちゃんのラブラブシーンになるんだよ」
「美女と野獣の掛け合いのシーン、か?今日の練習でそこまでいくかは分からないな」
「あーあ、伊波ちゃんが俺の城を去っちまうシーンとか、俺悲しすぎて演じきれるか分かんねぇ」
「…まだそこに入るまで当分かかるぞ」

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2010.11.20./小山彩音



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