長らく放っておいていた引き出しを開けると、視界が薄っすらと澱んだ。マスクの奥からでもその空気の汚さが感じられ、鼻が痒くなる。積もりに積もった埃は床へと舞い落ち、カーペットの繊維が微かに灰色になった。

 大学が決まり、いよいよ上京という3月にダンボールを組み立てた。一つ一つ斜めに開いて底にテープを貼る。机の引き出しを順に開いて中身を箱に空けていく。初めは隙間なく詰めていたが、3時間も続ければそれは最早、苦行でしかなかった。
「どうせ、明日にはあっちで開けるんだ」
 時間に追われながら作業を進めていると、机の一番下の段になって何かが引っかかるような手ごたえがあった。無理やりに引こうとするも、木の引き出しと同じくらいの堅さらしく一向に戸を引ききることが出来ない。仕方なく、上の段を取り外して下の段へと手を突っ込み取り除けた。それは木彫りの小さな箱であった。手元の雑巾で表面を拭くと、どこかで見たような気のする図柄が現れて思わず手を止めてしまった。それは確か、中学の技術の授業で作らされた木工細工だった。

 一先ず木箱を傍らに置きダンボールへの箱図めを続けることにする。明日の朝にはトラックが来るから、衣服も全て詰めてしまわなければならない。そうして立ち上がったときに思わず木箱を蹴飛ばしてしまった。すると、一枚の紙が隙間からこぼれ出てきた。

 今日は晴樹くんと夕実花ちゃんが委員会の仕事を手伝ってくれた

 木箱は製作当初からはまりが悪く、蓋が開きにくいのに側面には隙間が開いていた。担当の教師は作品を見て歪に笑うと、上手く使えば役立つさと、言ってB'と評価を書き込んだ。本当はそんなこと思ってもいないくせに、と心の中で呟いた。
「そうだ、それ以来高校に入る頃まで毎日紙を入れていたんだ」

 きっかけは芸能人がストレス解消法としてあげていたことだった。嫌なことがあった日はそれを紙に書き留めて、決めた箱に入れておく。そうすると嫌なことをすっきり忘れて次の日が楽しく過ごせるという。だが、当時中学生だった自分が考えたのは、その逆のことだった。
「どうせ楽しいことも悲しいことも忘れてしまう。なら、楽しいことを書いて残しておこう」
 ふと思い出して底を見ると、今よりも少し汚くて大きな字で、未来の自分へ、と書いてあった。

あなたの門出に喜びを

 楽しいことも悲しいことも過ぎ去ってしまったけれど、それでも楽しかったことは箱の中に残っていた。過去の自分が抱いた喜びを、詰め終わったダンボールの一番上に乗せて、明日の門出を心待ちに。

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Thank you very much for your request!
お題:「箱舟」
2010.05.17./小山彩音





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