バタン、と勢いよくドアが閉まった。ああ、またか。そう思いながらも俺に追いかける気力は残されていなかった。のそりと立ち上がって玄関まで行くと、重い錠を落とす。こうやって分かれるのは何回目だろう。そう思いながら靴箱にもたれかかって目を閉じる。本当は分かっているのだ、感傷的になっていいご身分ではないということ。それでも、しばらく動くことが出来ない俺は本物の馬鹿だ。

 思い返せば共依存の関係だったと思う。お互いに相手にもたれかかって歩けば、傍目から見て滑稽であっても当事者の負担は小さい。それぞれが独立して歩くよりも労力は少ないし、触れている部分の温もりが優しかった。だから、俺が真っ直ぐな人間だったとしたらその温もりにいつまでも浸っていることが出来たのだと思う。でも、俺はそんなに真っ直ぐな人間ではない。

 人の近くにいるということは、安心感をもたらすことだと思う。でも、俺は気分屋だから、時たまどうしようもなく人間が嫌いになる。正弦波のように甘えと冷たさを繰り返し見せる俺のことを、彼女が寂しげに見ていたことを知っていたし、無意味に彼女を突き放すことでどれだけ彼女が傷つくかも分かっていた。それでも、理性では抑えきれないほどの気分のムラが今回の暴言の理由だった。

 お前ってほんと普通だよな。メイクも服も頭ん中も平凡過ぎてつまんねぇ

 何度も何度も彼女がいなくなった玄関先でこの言葉を繰り返す。平凡なのは誰だ。つまらない奴は誰だ。自分が普通であることが耐えられなくて風変わりに見せようと必死になって、ストレス溜めて大切な奴を傷つけたのは誰だ。そう良いながら後悔する自分。そして、それと同時に、自虐的な思考を繰り返す自分を覚めた目で見ている自分を意識する。それでも、自虐的な自分は口を閉じない。偽善者ぶったり、しおらしく見せたり忙しい奴だな。そうやって悲劇のヒロインならぬヒーローぶるのか?結局お前は自分が可愛くて仕方ないだけだろう?離れていかないで欲しいがために、他の女にちょっかい出すなんていまどき中学生でもやらねぇだろう。そんなお前を気にして、お前好みのメイクや服装をしようと必死になった彼女のことを、心のそこでは嘲笑っていたんじゃないのか?

 自分の好みがいたく平凡であることを悟ったのは高校生の頃だった。その頃まで、自分はなんだかんだ言って才能があって、他の人間とは一線を画していて、やる気を出せば何でも出来るのだと思っていた。でも、自分が出来ることはたいてい周りの連中も出来たし、自分が出来ないことは、まぁたいていの連中も出来なかった。俺がかっこいいと思う服装は他の奴らもかっこいいと思ったらしいし、俺が可愛いと思う子は仲間の間でも可愛いと人気だった。そんな平凡な自分に辟易して、一風変わったムードメーカーを目指し始めたのはいつからだったのか。無意味に自分を偽り始めたのはいつだったのか。そして、そのうちに、自分には無いような魅力を持った子が好きになった。今まで付き合っていた美由紀もその1人だ。俺が見ているのとは確かに同じ世界を見ているはずなのに、彼女の中の世界は輝いて聞こえた。一緒の景色が見たい、そう思って一緒に過ごしてきたはずだった。

 俺には悪い癖がある。それは自分の好きなものほど距離を置きたくなる癖だ。だから、美由紀が俺から見て最も遠い存在になるのには時間がかからなかった。それはやっとのことで手に入れた新しい玩具を壁に投げつける幼児と全く変わらない、本当にどうしようもない癖だ。そして、距離を置こうとする俺に対して、自分を変えることで一緒にいようとした彼女。本当に自分を変えなければならなかったのは誰だ。そうしてどんどん「普通」になろうとしていく彼女に対して、微動だにせず傍観を続けたのは誰だ。それは紛れもなく俺だった。「普通」で何の変哲もない、つまらない俺。「普通」な自分に歩み寄ってくれる彼女。自分が作った距離すらも、彼女は踏み越えてきてくれようとしていた。でも、これ以上「普通」になった彼女は見たくなかったんだ。そこまで考えて、自分の身勝手さに呆れて笑えてきた。ずるずると靴箱に背を預けて、冷たい床に座り込む。手のひらに触れた地面の冷たい硬さは、そのまま俺自身の冷たさを表しているような気がして身震いする。頬を伝う涙の温かさだけが、ここにいる自分の存在証明に思えた。

オーディナリー・マンの贖罪

 今更信じてもらえないだろうが、俺はお前のことを愛しく思ってる。でも、好きになればなるだけ俺はお前を傷つけたくて仕方がなくなる。悲しむ姿は見たくないのに、どうしようもなく残酷な気持ちになる。だから、閉じた扉を開けて追いかけなかったのは俺の最後の優しさだと思ってくれないか

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2010.05.16./小山彩音





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