私の実家は凍てついた死人のような豪邸であった。外に深々と降り積もる雪とは対照的に、部屋の中は暖気で満たされていた。パチパチと薪の燃える音が響く静かな部屋で、微かに身動きをする人間が二人。黙々と夕食を咀嚼するその空気は冷たい。やがて、背の高い方の女性が空っぽになった口を開いた。
「じゃがいも、育ちすぎてたみたいね。少し苦い。莉緒、嫌だったら除けておいて」
「あんま気にならないよ。この肉じゃが、味が染みてるから大丈夫」

 言葉少なな夕方はいっそう寒々しさを意識させた。頬をなぜる物理的には温かい風がよりいっそう心に刺さる。莉緒は、弟好みに味付けされた肉じゃがを食みながら、母さんは口では「先に食べましょう」と言ったけどやっぱり待ってるんじゃないか、と一人ごちた。
「裕也、遅いね」
「いつものことでしょう。法学研究会の勉強会があるって朝言ってたわよ」
「久々だから会っておきたかったんだけどな」
「そんなこと言っても仕方がないでしょう。お父さんの跡を継いでくれるのはあの子なんだから」
 この言葉を聞く度に莉緒は親不孝者と罵倒されたような気分になった。莉緒は法曹界には興味がなかったし、裕也は興味があった。そして、奇しくも私たち姉弟の父は弁護士だった。それぞれが自然に望んだ道を歩いたはずだった。それ故に莉緒は短大の英文科を出て、就職して、一人暮らしをして、そして年に数回だけ、この大きな凍てついた家に帰ってくる人間になった。

 しらたきを噛み締めると、じゃがいもから移った苦味が舌を伝わり体に染みこんでくる。人間は食べ物を口にしたとき唾液が分泌される。そうして何回も噛んで消化されていくと、ご飯などは次第に甘く感じるようになるという。自分がこのじゃがいもならば、裕也は白米だなと自嘲する。じゃがいもの後からご飯を押し込み、眉間をうっすらと顰める。莉緒はどうにか部屋の温度を上げようとした。
「裕也、模試とか頑張ってるみたいね。大学入る時だって猛勉強してて、本当に凄い」
「それでも、望み薄だと法律塾の先生は仰っていたわ。あの子もあの子で自覚が足りないのかしら。国試迄あと二年を切ったっていうのに。どこで育て方を間違えてしまったのかしら」
 莉緒は思わず目を逸らした。自分についての言葉ではなかったはずのその言葉に、過剰に反応する自分の心に、情けなさを感じて少し身震いする。育て方を間違えたというあの言葉も、跡を継ぐという表現も、考えれば考えるほど、法学部に入り損なったあの晩に母から聞いた言葉だった。

 考え方が間違えていたなら考え方を変えればいい。見方を間違えたのなら見方を変えればいい。ならば、育ち方を間違え育ちすぎてしまった私はどうすれば償うことが出来るのか。もっと学んでいれば、或いはもっと思慮深く従順であることが出来たならば、私は正しく育つことが出来たのだろうか。
 苦いじゃがいもを口に押し込み、ごちそうさまでしたと言った。最後の一口になってしまったその澱粉質の食材は涙を誘い、育ち過ぎた自分に口直しのご飯はあるのだろうかと黙り込んだ。

肉じゃが

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2010.02.12/小山彩音


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