前のわたしを返してよ

 そう言い捨てて彼の部屋を出た。バタンと勢いよく閉まるドアに一瞬たじろいだけれど、もう後には引けない。コツコツとヒールを鳴らしながら、「一昔前のドラマみたいに追いかけてこられたら迷惑よ」とエレベーターホールに向かって歩く。その瞬間、背後からガチャリと鍵が掛かる音がしてさらに悲しくなった。

 彼が、わたしじゃない子に気を向けるようになったのはそう昔のことではないのだけれど、それでもわたしは気付かないふりをした。流行の先を行く可愛い女の子に目がない彼は、浮き名が流れることもしばしばあった。それでも、いつもわたしの所に帰って来てくれていた。だから、わたしも彼の言うとおりのネイルをして、彼の好きなルージュをひいた。最近流行のちょっとおバカな、明るくて、でも時々小悪魔な女の子でいようと最大限の努力をした。毎日メイクだって念入りにしたし、実はあんまり興味のないファッション誌だって読んでみた。そんな最中に、彼に言われた言葉が胸に刺さった。

 お前ってほんと普通だよな。メイクも服も頭ん中も平凡過ぎてつまんねぇ

 彼の住むマンションを、半ばぐずりながら出ると外は霧がかかっていた。確かこの辺りに 信号機のボタンがあったはず、と手探りで突起を押した。そっか、感覚で分かるくらいここに来てたんだ。ちょうど付き合い始めた頃に始めた、バイトのロッカーの並びは未だに覚えられないのに、何でこんなにも彼にまつわることは体が覚えているんだろう。口元は自棄になって笑っているのに、目元からはポロポロと涙が出て青信号が滲む。バッグから取り出したハンカチが彼からの贈り物で、何となく涙を拭うのも億劫になった。

 霧がかった夜道、街灯の下をとぼとぼ歩く。暗がりに微かに白が混ざって、自分だけが取り残されたみたいな気がする。「ちょっと変わってる君だけど、 俺色に染めてみせるよ」なんてクサい台詞吐くあなたに、いつの間にか本当に染められてしまったの。もうこんなに毎日にあなたが入り込んで いて、元の世界が見えないよ。

エキセントリック・ガールの凋落

 求められる姿を探して、いろんな方向に拡張を続けたわたしは、最早本当のわたしが分からなくなってしまったの。そうやって、特徴の無い能面になってしまったわたしのことを捨てるなら、最初からエキセントリックなわたしを愛して欲しかったよ

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2010.03.14./小山彩音



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