小さな頃から不思議で仕方がなかったことがある。誰が一番最初に順番という概念を作ったのか。数字が先にあったのか、順番が先にあったのかは分からない。けれど、ただ個数を数えるだけに止どまらず、序数的な使い方をし始めたのは誰なのだろうか。そんなにもそれは必要なことなのだろうか。

 春の電車は暖かい。陽射しが柔らかく車内に行き渡る。乗っている人間どころか無機質なシートまでもが、どこか明るい表情をしていた。
 とろとろとした睡魔に蝕まれながら座っている自分の、真正面の座席に目をやると、大学生くらいの男性が必死に参考書を読んでいた。大検でも受けるのだろうか、大学受験用のテキストに見える。
 ぼんやりと眺めていると、とん、と右肩に衝撃が走った。すみません、と言う小さな声が聞こえ、初めて隣りの女性が私に持たれ掛かってきていたことに気付く。いえ、とだけ言うと、女性はまた、うとうとしだした。

 ふと視線をずらすと、女子高生3人組が話し込んでいるのが見える。座らずに立っているところをみると、そんなに遠くまでは乗らないのだろう。
「でさ、佐津紀が実際に書いたらしいよ」
「えー!マジでやったの!?超ウケるんだけど。普通やんないでしょ」
「だよね、冗談だと思うじゃん。普通さ」
「確かにあいつウザかったけど、それはやり過ぎだよね〜」
 よくよく見ていると喋っているのは主に2人であり、もう1人は相槌を打つばかりだ。微かに2人の立ち位置からは話しかけづらい場所に立っているからかもしれない。物寂しげな表情にハッとした。私と同じかもしれない。

 人は、大きく分けて二つに分けられる。自分から話しかけないと誰からも話すことがない者と、自分から話しかけなくとも人から話しかけられる者である。それは雰囲気や立ち居振る舞い、性格に拠るものだろう。ある程度は努力で補えるだろうが、とても大変なことだ。

 やがて、電車は駅へと差し掛かり、その歩みを遅める。窓の外をふっと見やると、若い女性が同じくらいの男性と腕を組んで歩いているのが見えた。楽しそうに笑っているのを見てこちらも楽しい気分になった。その瞬間、女性が男性から顔を背けた。にやり、組んだ腕の可憐さからは読み取れないような、暗い笑みに背筋が凍る思いがした。
 誰かにとって一番でありたい。誰かにとって大切な人でありたい。そう願うこと自体は不純ではないはずだ。でも、そのために払われた犠牲を垣間見た瞬間に恐ろしく感じてしまう私はとてつもない臆病者なのだろうか。

 もう一度高校生を眺めていると、眼鏡を掛けたおとなしげな少女は、ちらりと次の停車駅を表す電光掲示板を見た。彼女は降りるのだろうか。そんなことは私には関係ないにもかかわらず、何となく考えてしまった。彼女は、これからも毎日この電車の中で曖昧な笑みを携え続けるのだろうか。そうしてあの寂しそうな表情を持て余しながら大きくなるのだろうか。
 私にはどうしても一番になることが出来なかった。どんなに頑張ったって輪の中心にいるのは違う子で、周りの取り巻きとして、いたっていなくたってさして変わらないような、そんな大勢のうちの1人でい続けている。次第にそんな状況にも慣れて、ほとんど何とも思わなくなってしまった。でも、ときおりどうしようもなく不安で悲しくなってしまう。私はこのまま漂うように、行き続けるのだろうか。

アナザー・ディレクションの救い

 電車は停まり、高校生達は1人を残してホームに降り立った。車内に残された少女はおもむろに空いていた席に座ると、教科書の詰まった鞄の中から文庫本を取り出して読み始めた。自分の降りる駅は次だから、ちらりと少女を見つめながら自分がこの後会う幼馴染の男のことを思った。また、あいつは自分も相手も傷つけたのだろう。でも、そんなときだけ呼び出しが掛かる自分にも辟易とする。
 電車がホームに滑り込む。最後に一瞥を彼女に投げかける。眼鏡の奥で上下に動く目の動きと口元の緩みを見て、彼女にとっての救いを垣間見たような気がした

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2010.05.16./小山彩音





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