文化祭に対する伊波さんの熱の入れ方は、何だか異常である。僕の知っている伊波さんは、授業中はずっと机に伏していて、休み時間にはふらりとどこかに消えているタイプだ。この前微かに音漏れしていたところを見ると、寝ている上に音楽も聴いているのだろう。つくづく不良なヤツだ。

 『美女と野獣』という題目が決まってから、一週間が経った。その間、隣りの席の彼女は授業中に一睡もせず、ずっとルーズリーフに何かを書き付けていた。そして、休み時間には瀬戸とずっと話していて、放課後は常にも増して素早く消える。
「伊波さん、瀬戸くんのこと好きなんじゃないの?」
 斜め前から、声がして一瞬凍り付いた。伊波さんの前の席に座るは間宮さん。こちらを向いているということは、話しかけているのだろうか。
「ね、そこんとこ原田はどう思う?」
 僕に聞かれても困る。それが正直なところだったが、言ってもこの女子は聞かないだろう。
「え、そうなの?知らなかった」
「いや、うちが見てそう思うだけだけど。でもさ、地味な伊波さんじゃ瀬戸くんとは釣り合わないと思うんだよね〜。ほら、あの子全然喋んないし?もっと明るくて可愛いこの方が似合うっていうか?原田もそう思うでしょ」
 肯定しても否定しても後が面倒な、問いの形を取った断定に、苛々するのを隠しながら返事をする。
「いや、そういうの疎い方だから、分かんない」
 突然見下したような顔をした間宮さんは、原田は勉強以外のことも頑張った方がいいよ、と言って前を向いた。
「そういう間宮さんこそ勉強しろよな」
 だから、生物であんな点取るんだよ。小さな声で言ったが、辛うじて聞こえなかったようだ。

 ホームルーム中に配られたのは、ちゃんと印刷された台本だった。どうやら黒板の前で説明をするのは瀬戸に任せてあるらしく、伊波さんは隣りの席で一週間ぶりに寝ていた。
「みんなは長編アニメ、つまり映画の方の『美女と野獣』のイメージが強いと思うから、違和感感じるかもしれないけど。これが一応ボーモン夫人の原作を元にした脚本です」
 伊波さんと瀬戸の書いた脚本は広く知られる映画版のものとは大きく異なっていた。というのも、王子が怪物になった理由が、身勝手な性格によるものではないところや、姉2人が報いを受けるところである。
「京一郎、これはこれで良いと思うんだけどさ、王子の成長物語的な側面があるともっとウケが良いんじゃないかな」  瀬戸に対してそう声をあげたのは、伴だった。間宮さんがキッと睨み付けているが、本人は前の方に座っているから気付いていないようだった。
「確かに伴くんの言う通り、そういう側面がないと物足りないですよね。んで、伴ちゃん、次のページ捲ってみ」
 瀬戸に促され、クラス一同がページを繰る音がする。
「これが2つ目の案。元々ボーモン夫人ていう作者は、童話集みたいなのを書いた人なんだ。だから、同じ童話集の違う話と混ぜてみたのがこれ。作品名は、えーっと…」
「『怪物になった王子さま』だよ」
 凛とした声が教室に響く。いつの間に起きたのか、伊波さんが助け船を出していた。
「ああ、そうだった。伊波さん、サンキュ」
 瀬戸の声に、間宮さんの背負う空気が冷たくなっていた。どうかしたのか問うのも憚られるので、ひとまず手元の台本に視線を落とした。

「あれ、原田くん、今日は数学やってない?」
 まだ突っ伏していた額が赤いままの伊波さんは、ぼんやりとした口調で問うた。
「まあ、折角の台本だし。面白そうだったからな」
 彼女が言うと、皮肉に聞こえないのが不思議だった。クラス替えからはや2か月、さらに隣りの席になってからはまだ半月しか経っていない。だが、彼女の発言には不思議と悪意を感じない。思ったところを正直に述べると、彼女はにかぁ、と笑ってみせた。
「そっか、ありがとう」
 ホームルーム中に内職をしているのは本来褒められたことではない。むしろ話を聞くのは当然のことだ。
「いや。伊波さんこそお疲れ」
 伊波さんはただただにこやかに笑うのみだった。

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2010.06.08./小山彩音



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