図書館の入口は3階の曲がり角にある。出入りはそこのみで、内部は1階から3階に分かれているために意外に広さがある。
「あ、原田くん」
 国語科準備室から図書館までは無いといってもいいような距離であり、それ故にどちらも桐島先生の根城となっている節がある。そんなことを考えながら歩いていると、図書館から出て来る人とすれ違った。
「あれ、黒木さん」
「原田くんが図書館なんて珍しいね!何借りに来たのー?」
 返答に困った僕は、仕方なく事情を話すことにした。
「そっか、姫ちゃん先生がねー。図書委員としても嬉しいよ」
 そういう黒木さんはもう帰り支度をしている。
「あー、でも、もう貸し出し終わり?」
「え、ああ、違うの。本当は私、今日カウンターの当番で貸し出しやんなきゃいけないんだけど、部活の合奏入っちゃって…代わってもらったんだ」
 そういえば、黒木さんは吹奏楽部だった。うちの高校の吹奏楽部は関東大会の常連校である。きっと、練習はハードなのだろう。
「そうなんだ、お疲れ」
「ありがと」
 黒木さんは、にこりと笑うと音楽室へと駆けて行った。そして、思い出したかのように振り替えるとこう言った。
「たぶん姫ちゃん先生の言ってた本って『内積-1の日々』ってやつだと思うよ!」
 黒木さんの表情は逆光でよく見えなかったが、その声色は楽しげであった。
「ありがとう」
 手を振ると、今度こそ走っていった。
 さて、僕も図書館に、
「うぁあああっとっと…」
 行こうと歩き出した瞬間、背後から黒木さんの声が響いた。どうやら階段を踏み外しかけたらしい。

 放課後の図書館は閑散としており、微かにページを繰るような音しかしない。書架は綺麗に整頓されているが、伝記コーナーに至っては埃が堆積して、綺麗に層を成していた。黒木さんの言っていた本は、新着の棚にあり簡単に見つけることが出来た。表紙はシンプルな写真であり、机と椅子が映り混んでいる。机の上にあるのは数学の教科書だろうか。いずれにせよ、ベクトルに纏わる本なのだろう。
 パタンと裏返して貸し出しの履歴を見てみると、ちょうど期日は6月22日までとなっている。どうやら、返された直後のものらしい。図書館の本は、前に誰が借りていたのかが分からないから何となく嫌いだ。でも、ここまで来てしまったし、借りて帰ることにしよう。そう思って、カウンターに向かうと見知った姿があった。
「あー、原田くんだ」
 伊波さんだった。

 伊波さんは読んでいた分厚い本に栞を挟むと、テキパキと貸し出しカードを探し始めた。
「原田くん、原田くん…あ、あった。原田…下の名前、何て読むの?理科の理だよね。」
「ああ、おさむ、だよ」
「そっか、理くんかぁ」
 そう言って、彼女は僕の真っ白なカードを取り出した。
「何借りるの?」
「これ」
 本を取り出すと、彼女は一瞬目を丸くした。そして、いつも使っている0.3ミリのシャーペンで、微かに丸い字をカードの先頭に連ねた。
「確かそれ、図書委員の黒木さんが好きな本なんだよ」
「ああ、さっきそういって薦められた」
 そう告げると、目の前の彼女はとても楽しそうに笑った。
「伊波さんはよくここ来るの?」
 そう僕が問い掛けると、彼女は口角を僅かに上げながら、分厚い貸し出しカードを見せた。
「うわ、何これ」
「3束目なんだけどね。あんまり分厚くなるもんだから、ホチキスで止まらなくて」
「1年から何冊借りてる?」
「一日に一冊くらいかな」
 そうして、手元にある伊波さんの貸し出しカードを見てみると、名前は「伊波百々」と書いてあった。
「伊波さんの下の名前は?」
「もも、だよ。大抵の人は読めないけどねー」
 彼女はよく笑う人だ。ぱらぱらと束になっているカードを捲っていると、6月15日の貸し出し欄に、見知ったタイトルを見つけた。
「伊波さんもこの本読んだの?」
 伊波さんは、うん、とても面白かったよ、と呟いた。
「それにしても、原田くんがこの本を選ぶなんて意外だなー」
「いや、見たまんまだと思うけど?」
 伊波さんの言い方にほんのり疑問を感じた。
「ちょっと待って、原田くんはこの本何の本だと思う?」
 数学、そう答えると、彼女はやたらに神妙な顔をしてふるふると震えた後、我慢し切れなかったのか笑いだした。
「あちゃー、黒木さん、あんまり言わなかったのかな。それ、恋愛小説だよ」
 紛らわしいタイトルはやめて欲しいと強く感じた。

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2010.06.17./小山彩音



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