台本は結局、ボーモン夫人の『美女と野獣』に準拠した方を用いるらしい。腹案を忍ばせていた2人にとっては、嬉しいのか悲しいのか判然としないが、「一風変わった正統派」という売り文句にクラスメイトは飛び付いたようだ。原作を「一風変わった」と表現することに違和感を感じたのは僕だけのようで、何だか寂しくなった。 そうして、文化祭関連のホームルームは波乱の第3週を迎えることとなる。
「今週は待ちに待った配役決めです!と言っても、私たちクラス委員は文化祭実行委員も兼ねてるので入れないんですけどねー」 クラス委員の相島さんは、それでも心なしか楽しそうにしており、黒板の前を行ったり来たりしながら役名を羅列している。
監督 美女(三女) 野獣 父親 長男 次男 三男 長女 次女 長女の夫 次女の夫 仙女 ナレーター
一通り書き終わると、もう一人のクラス委員である津村が説明を始めた。 「配役はここに出ている13人分決めなきゃいけないんで、それを先にやってしまいます。んで、それに加えて、余った人は大道具、衣装、音楽、宣伝の係りに別れてもらいますが、まあこれは来週にでも。まずは監督なんですが…これは出来れば原作の2人のうちのどちらかにお願いしたいんですが…」 その言葉に、伊波さんが小さな声で「瀬戸くん」と応じていた。そしてそれとほぼ同時に、瀬戸がすらりと手を挙げる。 「俺やっても良いかな。こういう役割やるの好きだから、他にやる人がいなければやってみたいし」 そうして拍手が起こり、瀬戸が起立して教室全体に礼をした。 「伊波さんはやんなくてよかったの?」 「瀬戸くんの方がこういう作業向いてるんだよ。文芸部でも瀬戸くんは専ら編集だし」 そういう伊波さんは今日も音楽を聞いているらしく、楽しそうに微笑んでいる。 「へぇ、そんなもんか」 「ところで、原田くんは何やってんの?」 「積分」 「ちゃんと参加しなよー」 そう言った伊波さんは少し眉尻を下げており、いつもやっているはずの内職に罪悪感を感じる。 「伊波さんだって、音楽聞いてないで参加しろよな」 そう応えると、彼女はいきなり慌てだした。 「え、音漏れしてる?」 「いや、なんか楽しそうだし体が微かに揺れてるし」 「あ、焦ったよ、気を付けるね。でもさ」 そう言った伊波さんは、ニコニコと笑いながらこちらに身を寄せて来た。教室の窓際、最後列の僕らを気にかける人はいない。左側に座る彼女の艶やかな黒髪の影が、僕のテキストの上に落ちる。 「ここのインテグラルの計算、間違ってるよ。2の3乗は8だし」 そう言って彼女は僕の机の上の消しゴムを取って、細くて微かに丸い字で、僕の文字を改めた。 「原田くんも、細かいとこよりは全体を見る方が得意なのかな」 そう言ってクスリと笑う彼女に、一言返そうとした時だった。
「美女役には、立石さんがぴったりだと思います」
「いや、私は間宮さんが良いと思います」
クラスの中には、またか、というムードが充満していて、温厚な伊波さんも微かに眉間に皺を寄せていた。
うちのクラスの女子には2グループが存在し、一つは立石飛鳥派でもう一つは僕の前の席の間宮鈴派である。その腹心のような立場にある連中がお互いのボスを推して聞かないのであろう。立石さんも間宮さんもお互いに「私なんて」と言っているが、譲る気がないのがはっきり目に見えていた。回りの女子はそれぞれにそれぞれを応援していた。もちろん、伊波さんはこういう時に寝ているタイプである。今日は寝ていないものの、こっそりと音楽の音量を上げたのが見えた。
「決まったー?遅くなってごめんねー」 突如、喧騒を破って扉を開けたのは、担任の桐島晴姫先生だった。間延びした声に一同が笑うと、不思議そうな顔をしながら教室に入った。 「あれ、まだ決まってないの?んじゃ私特製あみだくじの出番だね」 生徒に有無を言わせない独特の調子で喋りだした彼女は、黒板いっぱいにあみだくじを取り出して貼った。くじの上部には1から37の数字が書いてあり、下部には所々役名が書いてある。 「今から津村くんと相島さんに男女それぞれの、数字の書いてあるくじを持って、みんなの席を周ってもらいます。んで、ひいた人から順に私のところに言いに来てね。ちなみにバランスの関係でナレーターは男子だから」 すると伴が声を上げた。 「でもさ姫ちゃん、俺ら40人クラスだよ」 「こら、先生のことを姫ちゃんて言うな。クラス委員と監督の分を抜いてあるからだよ」 「なるほどー」 そういう間にもどんどんとくじは引かれ、ついに最後のくじが僕らの前に差し出される。 「余りだね」 「まぁ、一番端の席だから」 そうして黒板に向かうと、僕らの前の2人が半ば悲鳴を上げるように騒いでいた。高島と間宮さんだ。 「俺が野獣かよー!不細工役とかついてねー」 「なんで私が意地悪な姉役なのよ」 高島はともかく、間宮さんは目を釣り上げており、美女役の女の子は可哀相だな、と思った時だった。 「えーっと、あとの残りはナレーターと美女か。伊波さんがナレーターで原田くんが美女?」 担任の間の抜けた声に振り返ると、伊波さんが静かに突っ込みをいれている。 「原田くんが美女やったら、高島くんとラブラブですよ」 「それも面白そうだね」 「先生、原田くんの顔引きつってます」 そんな訳で、美女が伊波さんという結末で3週目のホームルームは幕を閉じた。
ホームルーム終了後に、前の席の高島がニヤニヤしながら話しかけて来る。 「俺さ、伊波さんとカップル役だよな」 「役、だな」 「これがきっかけで、俺達カップルになっちゃうんじゃねぇか」 つくづく可哀相なやつである。
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